終に関ヶ原かぁ・・・
いまだにあの時にこうしてれば・・って事が多く言われるけど
小早川秀秋の裏切りは戦を決定する大事件ですよねぇ。
彼なりの交錯する思いがあって悩んでたんだろうけど
その二年後に他界するこの青年は
西側からすると最大の裏切り者で恨まれたんだろうなぁ
今でも裏切りがなければ
布陣の形や勢力を考えると
西が勝つと言うのが定石だったみたいですね
歴史は合理的な数字じゃないものが
決定するってのがドラマティックですが
何とも悔しい。
三成の人望にもあれこれ言われてますけど
歴史は敗者が悪く言われるもの
彼が欲した物が天下泰平ならば・・
それが家康によって長く行われるってのが
また歴史のロマンですよねぇ。
さて兼続どうするのだ・・。