風の音だけが週末のConversation

一粒の砂に世界を求め 野の花に天国を見出す 掌の中に無限を捉え ひと時のうちに永遠を築く この詩のように生きたいな

『怖い絵3』中野京子

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シリーズ完結編の『怖い絵3』ですが
このシリーズを通して人間の持つ怖さを痛感しましたねぇ・・
恐怖とは何なんでしょうね。
本文にあった恐怖観について
パーシー・チェリー「恐怖は人間が作り出したものにすぎない」
一方ジョージ・ゴードン・バイロン
「恐怖は人間がこの世にあらわれる前から存在し、人間が滅びたあとも残る。」
私は前者に近いと思ってたけど
何だか恐怖はどんな時代や場所にも運命的に存在するんじゃないかって
思ったりするんですよね。
ここで紹介された恐怖の絵の数々。
ベンス『メドゥーサの首』には
リアルな蛇が逃げ惑い
切り落とされた首のリアルな表現。
直接的な恐怖
ブリューゲルイカロスの墜落』では
怨みを抱く人間への恐怖
ベックリンケンタウロスの闘い』では
粗野な留めることのない理不尽な力への恐怖
レオナルド・ダ・ヴィンチ『聖アンナと聖母子』
ダビンチコードじゃないけど
謎が隠されたものに引き込まれました。
隠された過去と思いの深さに恐怖して
ホガース『ジン横丁』では
時代の狂気
希望のない恐怖・・
考えただけでも恐ろしい・・
もっとも怖と感じた3作品
フュースリの「夢魔
レーニ『ベアトリーチェ・チェンチ
レッドグレイヴ『かわいそうな先生』
ジョージ・ゴードン・バイロンの言葉を借りれば・・
「恐怖には異様な美がある。美女はそれだけで美しいが、
しかしそこに血の一筋でもあればと思う。」
芸術を箍なく追い求める人間への恐怖
本文にありましたけど
「名画とはある種の痛みを見るものに与えるかもしれない」
深い痛みや悲劇が全体を覆う
この圧倒的落差が芸術を産む素地ならば
人の行いに恐怖を抱かずには居れないなぁ。