金曜の深夜まで映画や録画してたものを見てると
ウトウトと・・明け方じゃないか
次の日は遅くのスタート
天気は曇りの予報じゃなかったけ?
快晴じゃないかよ・・。
MTBでほんとあての無いスタート・・どこに行こうかな??
走っててると段々と元気が盛り上がってるから不思議。
やっぱりこの時間は大事なものだ。
トボトボと呉湾の公園へ
そこから見えるドック沖の巨大タンカーからは
何か放水してるなぁ?何だろ??なぁ


水鳥が浮かびトンビが空を舞ってるなぁ・・
寒いけど少しだけ春を感じる陽射し
ここから川沿いを上流方向へ
信号でまた方向を変えてってMTBならではの
ポタリング走行。
ほんと気の向くまま風のまま。
第6潜水艇殉難慰霊碑の看板を目にしふらりと見学へ
鯛の宮神社境内に第6潜水艇殉難慰霊碑は建っています。
第6潜水艇殉難慰霊碑とは
第6潜水艇は明治39年、我が国で初めて建造された57トンの潜水艇であったが
明治43年4月15日、山口県岩国市新湊沖で訓練中、事故のため沈没した。
佐久間艇長以下14人の乗組員は各自、最期まで持ち場を守り、従容として死を迎えた。
ウトウトと・・明け方じゃないか
次の日は遅くのスタート
天気は曇りの予報じゃなかったけ?
快晴じゃないかよ・・。
MTBでほんとあての無いスタート・・どこに行こうかな??
走っててると段々と元気が盛り上がってるから不思議。
やっぱりこの時間は大事なものだ。
トボトボと呉湾の公園へ
そこから見えるドック沖の巨大タンカーからは
何か放水してるなぁ?何だろ??なぁ


水鳥が浮かびトンビが空を舞ってるなぁ・・
寒いけど少しだけ春を感じる陽射し
ここから川沿いを上流方向へ
信号でまた方向を変えてってMTBならではの
ポタリング走行。
ほんと気の向くまま風のまま。
第6潜水艇殉難慰霊碑の看板を目にしふらりと見学へ
鯛の宮神社境内に第6潜水艇殉難慰霊碑は建っています。
第6潜水艇殉難慰霊碑とは
第6潜水艇は明治39年、我が国で初めて建造された57トンの潜水艇であったが
明治43年4月15日、山口県岩国市新湊沖で訓練中、事故のため沈没した。
佐久間艇長以下14人の乗組員は各自、最期まで持ち場を守り、従容として死を迎えた。
大正元年、その遺徳を永久に記念するため、この鯛乃宮神社境内に碑が建立されたが
終戦と共に碑は荒廃し、引き上げられ保存されていた潜水艇も
進駐軍の命により解体された。
しかし、昭和34年、殉難50周年を期に、高さ19メートルの壮麗な碑が再建され
あわせて潜水艇のスクリュー他も碑の中に保存された。
また碑の側面には佐久間艇長の遺書がレリーフとしてはめ込れた。
毎年4月15日には盛大に慰霊式典が行なわれる。
急な石段を登ると碑と神社
静かな時間が流れてます。



ここからフラリと休山トンネルを抜けて広大な埋立地
阿賀マリノパークへサルベージ船からぶら下がる
大きなクレーン

建築中?の公園からはラジコン飛行機が
アクロバティックな飛行をしてました
眺めながらお腹に補給をして

音戸へ向う大入から休山へ進路を変更
急な勾配で汗をかき宮原(山の反対側)へ
またもフラフラと気の向くままのポタリング
まったりと走りながらも発見と汗もかけて小さな再発見の一日。
終戦と共に碑は荒廃し、引き上げられ保存されていた潜水艇も
進駐軍の命により解体された。
しかし、昭和34年、殉難50周年を期に、高さ19メートルの壮麗な碑が再建され
あわせて潜水艇のスクリュー他も碑の中に保存された。
また碑の側面には佐久間艇長の遺書がレリーフとしてはめ込れた。
毎年4月15日には盛大に慰霊式典が行なわれる。
急な石段を登ると碑と神社
静かな時間が流れてます。



ここからフラリと休山トンネルを抜けて広大な埋立地
阿賀マリノパークへサルベージ船からぶら下がる
大きなクレーン

建築中?の公園からはラジコン飛行機が
アクロバティックな飛行をしてました
眺めながらお腹に補給をして

音戸へ向う大入から休山へ進路を変更
急な勾配で汗をかき宮原(山の反対側)へ
またもフラフラと気の向くままのポタリング
まったりと走りながらも発見と汗もかけて小さな再発見の一日。