風の音だけが週末のConversation

一粒の砂に世界を求め 野の花に天国を見出す 掌の中に無限を捉え ひと時のうちに永遠を築く この詩のように生きたいな

『海峡の南』 伊藤たかみ

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行方知れずになった父の記憶をたどる旅の話。

故郷と親父と言う存在は
忘れたようで事ある毎に何故か胸を過る。
本文にあるように・・

「ジョッキが触れ合ってかちんと鳴るとき、照れくさかった。
・・初めてあそこに毛が生えたとき、初めて彼の前で煙草を吸ったとき
そんなときと同じような照れくささが、かちんという音と一緒に弾けて消えた・・」

親子、特に親父と息子の関係と言うものは
微妙で鬱陶しく煙たい父という存在の厄介さって
似通った部分に寒気を感じることもあるし
相対的に推し量る距離や意識はまるで
昔の思いを蓄積した故郷にも似ているもんだなぁ。
何処かの誰かに繋がるであろう
自分のルーツとは何なのか?
ここでは北海道を意識しながらそれをより所としながら感じる心

「心のどこかで北の大地と繋がってることを求めている。
・・・それは頭で考えたのではなく、何かに連なっていたいという本能だった。」

または、こうも言ってます。

「心の奥に定点を定めたいのは、たゆたう人間の性なのだろう。
生きてゆくことが頼りないのだ。
どこから来てどこへ行くのかちっともわあらなくて、寂しいのだ」

心の拠り所となる核は
消すことの出来ないもの
強い引力を発しながら心を捉え離さない何か
人の寂しさの根源はそこにあるのかもしれないですね。
時に目を逸らさずに向き合うことも大事だよなぁ。