風の音だけが週末のConversation

一粒の砂に世界を求め 野の花に天国を見出す 掌の中に無限を捉え ひと時のうちに永遠を築く この詩のように生きたいな

MTBで大須城和跡へ

先週、ロードで走ってて見つけた大須和城跡の案内板
オフロードっぽかったんで断念した場所を
今回はMTBで登ることにしました。

空は薄曇、時折挿す陽射しが晴れを予感させるが・・
ぱっとしないなぁーもう梅雨だもんね。

吉浦から鍋土峠を登りショートカットのオフロードを混ぜながらの
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ポタペースで焼山へ
ここから何故か思いつきで神山峠を降り
呉越えを経由して海沿いを廻り

長浜へ小坪小学校横を通ると
137年の歴史に幕を閉じるようですね・・
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よく通るものの
じっくりと見ることのない
海沿いにある神社を散策
海沿いの神社らしく亀の甲羅や寄贈されたものが・・
海の交通を見守る長い歴史がありそうですね。
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先へ進み
野呂山麓にある
大須城跡へ
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おぉ!ここ、ここ。
全くの予備知識、下調べなしで
登り始めるも・・
よくあるパターンが・・
丘に木、草が茫々で案内版のみって多いんよねぇ・・
良くて石垣とか・・景色でも良ければいいんだけどなぁ・・。

登りに入るといきなりの階段で担ぎ
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竹林がお見事な和の世界
数十メートルで別世界ですわ・・。
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50mぐらいかなあっと言う間に本丸のあった場所へ
現在では須和社が鎮座し武事をつかさどっています。
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※ちなみに大須和城の由来
16世紀の初め頃には、水軍の武将として多賀谷氏・及美氏・得益氏が
「仁方・川尻」を共同支配していた。
多賀谷氏は蒲刈を中心に勢力を振るい
東方を代表する小早川水軍の武将である。
及美氏は呉浦(今の呉市)を代表する武将である。
東と西の勢力が同一の土地(仁方・川尻)で共同支配していた。
この事は東と西が対立しながら、境界に当たる仁方・川尻では
水軍として連携していた事を示している。

 瀬戸内海地域は、平安時代末期から経済の大動脈として栄えてくるようになった。16世紀半ばのころ、カラブル神父が本国のポルトガルへ出した手紙によれば、川尻は「船長の九郎右衛門を初め多くの者が船に乗り込んでいた」とある。
当時の川尻の衆は、何隻かの船に武装して乗り組み
水軍として活動していたようである。
大須和城は16世紀ころの水軍の城であった。
  平成15年8月 川尻町教育委員会より

その後は竹林の別の道へ行くも行き止まりでした・・。
竹の葉は滑る滑る・・^^;

その後、海沿いの裏通りや抜け道を探してポタリング
しかし、変わりゆく景色に目を向ければ、いろんなことに気付ける
そこにいい感じや面白みを感じる。
ポタじゃないと見えないものがあるもんです。

走行距離 62.48km
MTB_積算距離 7585.41km
ROAD_積算距離 6083.7km
総積算距離 13669.11km(めざせ日本一周!)