100歳の映画監督、新藤兼人
彼の半生と映画に賭けた男の生き方の流儀。
冒頭に「生きてるかぎり 生き抜きたい」の一文
人はある使命を持って生きてるものだろうか?
太平洋戦争で一緒に召集されたのが100人。
海防艦の機関銃手となり、94人が亡くなり。
生き残ったのは6人の1人だったそうで
何か”持ってる”ってるんだろうなぁ
いや、それぐらい必死に生きないと
生きたくても生きれなかった方々のことを思うと
そう言う生き方をせざるを得ないですね。
そんな経験が根底にあるのか?
新藤兼人はその生き様を絶えず映像に表現して来た
亡くなられた奥さんとの物語を
1951年『愛妻物語』に
広島出身の監督らしく
1952年『原爆の子』
1959年『第五福竜丸』などなど
数々の作品を撮り最近では・・
2011年『一枚のハガキ』では 第23回東京国際映画祭審査員特別賞
第36回報知映画賞特別賞、キネマ旬報ベストテン1位
作品中に語られた言葉
「自分の生き方そのものを根拠にしなければならない。
そうして映画をつくっていくのは、己 <おのれ> をさらけだすことであり、
しんどいけれど、つくりたい作品がふつふつとわいてくる。
それが映画への情熱だ。」
またこうも書いてる
「水を注ぎつづけなければ 心が渇き、生きていけない」
時代を切取る作品を100歳まで撮れる情熱って
自分への興味や生き方なんですよね。
何かと言い訳を考えて諦めてないでしょうか?
いつまでも生き方次第なんだよね。