風の音だけが週末のConversation

一粒の砂に世界を求め 野の花に天国を見出す 掌の中に無限を捉え ひと時のうちに永遠を築く この詩のように生きたいな

『キツツキと雨』

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横道世之介http://blogs.yahoo.co.jp/gogo_yellow_bicycle/62510913.html
素晴らしく感動的だったので沖田修一監督作品を物色。


この沖田作品『キツツキと雨』は妻に先立たれ、息子の浩一と2人暮らし。
ゾンビ映画の撮影にやってきた映画監督をなりゆきから
案内することになった主人公、克彦は・・。

武骨な田舎の頑固親父が自信を失った映画監督と少しずつ心を通わせるプロセスを観てると
携帯やネットによって人が人を繋がることのツールが如何に進化しても
結局は心と心の絆ってものは
ツールの優劣じゃないってことが痛いほど分かる。

言葉もそうですよね。
直接的な言葉よりも伝わる想いってあると思うんですよね。
こんな台詞がありました。
「あそこに松が生えてるだろ。あの木が一人前になるのに、ざっと100年はかかるよ。」と語り


後悔してるかな?と親を思う監督に・・
「・・後悔なんかしてねえよ。自分の買ってきたカメラが息子の人生を変えたんだ。
 嬉しくてしょうがねえだろうよ。」と若い監督を諭すシーン

どちらも武骨でありながらも
温かいく相手を思いやる心があるんだよなぁー。

そのやり取りと無関係に存在する息子が
これまた緩やかに心を開く様

コミカルな住民とのやり取りや雨のエピソード
そのどれもに”心”ってものが通ってるんですよね
ツールじゃない手間隙を惜しんじゃ駄目なんだよなぁー人と人は・・。