風の音だけが週末のConversation

一粒の砂に世界を求め 野の花に天国を見出す 掌の中に無限を捉え ひと時のうちに永遠を築く この詩のように生きたいな

『キャタピラー』 偽りと建前、死は同列では語れない。

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久蔵は勇ましく戦場へと出征していったが
帰ってきた久蔵は四肢を失った姿であった。
蛮行を行っていたのに偽りの軍神と祀り上げられる久蔵と妻シゲ子は・・。

軍神とたたえられ新聞にも載ったが
出征前にも妻に暴力を振るい
戦場でも蛮行の偽りのクズ男が
後に罪の意識に苛まれるて死ぬことと
映画終盤に空襲や原爆の犠牲者、戦場での死者
処刑された戦犯の人数が示されるのですが

何の落ち度もない一般市民が大量破壊兵器によって
十数万の死と同列に語れないんじゃないだろうか?

戦争が悪い、国が悪い的なありがちな一方的な被害者や
全体が悪いって全体責任ってのも何の説得力もなく
映画に嫌悪すら感じる。

いつの時代も社会に洗脳された価値感が日常になってしまっているが
それは反戦、好戦とて同じ流れ
歴史を観ても明らかですね。

そこを皮肉って描いてるのかも知れないけど・・
冒頭に書いたあんまりの数字の羅列に違和感。

しかし妻の苦悩と悲しみ、誇り、憎しみ、愛情、欺瞞、絶望と希望を表現した
寺島しのぶの演技はすばらしい。

ベルリン国際映画祭銀熊賞最優秀女優賞を獲得したのも頷ける。