時が流れ主流の時代が移り変わり
保守と確信との確執とせめぎ合いは
現代においても同じですよね。
方や異質な人間と称し相手にしないどころか弾圧をする
才能を見出し加勢する人
時代とはそのせめぎ合いの中で淘汰され
行くべき道に導かれると私は思ってますが
渦中の渦の中では身に降りかかる事態は
黙って過ごす分けにはいかないものですね。
この私的な感情と公の求めるもの
歴史は時間は掛かれども合理的にな
落ち着く所へと時代は導かれる。
統計や確率で回数に比例し
ある一定の所に分布し自然にそこへと収束するもの
真理ってものがそこにあるんではないだろうか?
福堂策が現代やっと一般的になるように
時代とのギャップの狭間が何とも歯痒い気もしますが
これまた開拓者の苦難なんですね。
今、水戸藩で改革派の嫁の話を読書中なのですが
至る所でこの狭間の痛みを抱えて
今の時代へ変革を成す。
その魁となる寅次郎もそうですが
周りの愛あっての寅次郎ってのも
忘れてはならないですね。