椋梨による粛清の嵐
復讐心もあるんでしょうけど
大義なき私情ってものの
浅はかさは歴史が証明してますね。
ここに描かれる公と私のこの対比が今回の肝かな?
銀姫の殿を思う気持ちと世継との狭間
公と私の方向性が一緒ならば
お互いが幸せになるものの
そうじゃないのが世の中。
現代の世界でも一緒かな。
至誠と書かれた壁が映されたましたが
この迷いの中
小田村と晋作の会話が象徴してましたね。
囚われの身となりながらも
幕府の崩壊と新日本の世界に心はあります。
この私情に捉われない大義こそ
それぞれに必要不可欠な心じゃないでしょうか?
現在の政はどうでしょうか?
そこに大義はあるのか?
自ずと答えはありそうですね。