老いはどんな賢人であっても
全ての生きてるものには
寿命という限りがあるもの
その死への道のりの中で
どんな死に様となるかは
先週書いたように生き様次第だと思うんですよね。
秀次の切腹事件の一族皆殺しなんて
秀吉の孤独を通り越した行いは
どうも解釈出来ない失態
秀吉の末期は乱心としかいいようのないものですね。
そこに付け入るような三成に
乱心な茶々とその後もそう言う最後を迎えるのでしょうー。
自分に置き換えると
全盛期を過ぎて老いを感じる年齢になり
風邪の治りが悪いとか記憶力が落ちたとか感じるもんな。
もっと悲しいのは
別段、病気ではないんですが
親が年老いたと感じることがあり
何とも切なくもあります。
太閤と言えどもどうしようもない老いに
自分はどう受け入れるのか?
いつも書いてるように
それを楽しめるような覚悟と心がけを怠りたくないものです