風の音だけが週末のConversation

一粒の砂に世界を求め 野の花に天国を見出す 掌の中に無限を捉え ひと時のうちに永遠を築く この詩のように生きたいな

『ライ麦畑でつかまえて』 J・D・サリンジャー

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高校の頃に一回読んだ時には
深く考えることもなく記憶には薄く残るのみだった作品。
今、また読むと見えなかったものが見えて来ました。
独特の孤独感と気持ちの乖離を感じる日々に好意を持って受け入れられるな・・。
自分の心のありかたが変わったのだろうか?
アントリーニ先生は言ってましたよね
「未成熟な人間の特徴は、理想のために高貴な死を選ぼうとする点にある。
これに反して成熟した人間の特徴は、理想のために卑小な生を選ぼうとする点にある」
卑小な生かー。
この物語の中に絶えず漂うイノセンスについて考える
イノセンスとは何なのか・・。
自分の中のイノセンスはどこへ行ったのだろう。
欺瞞に犯されたこの世界に何が真実であり事実なのか・・
それに自分はどう向き合い昇華すればいいのか?
今のこのテーマに解することは出来ないけど。
この作品は世界中で読まれロングセラーとなってるのは
社会の持つ処方箋ない病理について鋭いところなんですよね・・。
今のこの作品の主人公に問われる
フィービーの言葉「兄さんは世の中に起こることがなにもかもいやなんでしょ」
上手く解を持たないホールデン
何者になりたののか?
「・・・よく前を見ないで崖の方に走っていく子どもなんかがいたら
どっからともなく現れて、その子をさっとキャッチするんだ。
そういうのを朝から晩までずっとやっている。
ライ麦畑のキャッチャー僕はただそういうものになりたいんだ」
そうして俺は何になりたいのか?
社会の欺瞞と嘘にうんざりしてたりして・・
今も問われて戸惑う主人公と同じだな・・。
自分は・・。