殺人の前科がある三隅の弁護を引き受けることになった三隅
依頼された被告は解雇された工場の社長を殺し起訴されていた。
接見で会う度に重盛の確信は揺らぐが・・真実とは何なのか??
同じ殺人でも刑期が違って来ることで
理屈を捻りプランする弁護
それを黙認し落とし処があるかのような絵を描く打ち合わせ
二転三転する被告の話に翻弄されるのですが
最大の成果を上げようとする弁護人の真理と
まるで企業のそれであり
本来ならば真実に対する罪を裁くものが裁判ではないでしょうか?
偶にニュースで流れる後付けの理由を聞いて
失われた命に対する罪が変わる司法の限界を感じるもので
塀に入らい人間も実は罪人と同じくらいの罪がありながら
ある人はそれを気にも留めずに暮らしてる世の中。
ここに一石の石を投じるようなこの映画に何を想うのか?
物語も一部事実じゃない被告と証人と弁護人が旅するシーンがありますが
真実やら事実なんて淡いもので
虚実が真実にされることなんて世界ではよくあるものですよね。
そんな中で人は何を信じて国は司法をどう運用するのか?
三度目の殺人とはこの裁判で死刑を意味するのでしょうけど
弁護人の親である裁判官の言葉に、「あの頃は、社会が犯罪を生みだすという時代だった。
だからあの判決を出してしまったが、そのことによってまた人を死なせてしまった」と判断を誤ったような発言をする
死んでいい人間が存在するってことですよね。
自分も異論はありませんが
多くの矛盾がありながら人はある何かを信じないと生きることは出来ないのだろう。
何を信じますか?
考えたら恐ろしいものです。
罪の重さが真実とは離れた所で決まってっしまう制度
損得や効率を求める心では人の罪は償えないものですよね。