風の音だけが週末のConversation

一粒の砂に世界を求め 野の花に天国を見出す 掌の中に無限を捉え ひと時のうちに永遠を築く この詩のように生きたいな

『空のレンズ』 片山恭一

普段の片山恭一作品とは異なる感じのSFの世界
スピリットとしては変わらないけど
そこに描かれた人や場所空間の認識には戸惑いました。
明日も自分として認識して生きれるのは
頭が自分と昨日を記憶してる連続があるからなんでしょうけど
自分の存在なんてフィクションでネットゲームに存在する
バーチャルな世界と変わらないんじゃないかって
思えて来ますよね。
「ゆらぎのモードの危険性はそこにある
どんな現実も、ぼくたちと無関係には存在しない
あらゆる物質と物体は意味的であり
かつ親和的に存在している
だから頭でイメージしたものは
どんなものもここに流れてくる」
って一文がありましたが
実社会だって何らバーチャルな論争してる政治や国際社会を見ても明らか
何に脅え何に権威を持って暮らすのか?
これもバーチャルと言えばバーチャル何ではないでしょうか?
大事な事やものは頭を作り出した幻影に過ぎないのではないだろうか?
そんな心持になる作品。
今、明日をどう生きるの?
風の音に脅えても仕方ないですよね。