ピークは過ぎたものの昼走るには暑いなぁ~
水のある日陰のある場所へでも行くかなとスタート
水のある日陰のある場所へでも行くかなとスタート
この暑さの中咲き誇る姿は凛々しい
峠の緑のトンネルはしばしの涼
川を遡る
水の音と日陰
風に揺れる枝・・
下界とは違うものですねぇー涼しい~
風に揺れる枝・・
下界とは違うものですねぇー涼しい~
トンボも見掛けない種類のものが止まってました。
さらに上ると吊り橋があったり
岩もサイズが違います。
急な階段を上り
昔,灰ケ峰のふもと享保9年(1724年)庄屋の熊崎新左衛門が中心となり
二河川の水を現在の上山田小学校付近で流すことができる水路
二河峡の上井手の水の取水口(国登録有形文化財)などが残っており
,江戸時代の遺産は,今もなお宮原浄水場へと水を送り続けています。
二河川の水を現在の上山田小学校付近で流すことができる水路
二河峡の上井手の水の取水口(国登録有形文化財)などが残っており
,江戸時代の遺産は,今もなお宮原浄水場へと水を送り続けています。
案内によると・・
呉市は,この水源地を旧軍港市転換法によって
昭和27年(1952年)国から譲与を受けて,市民給水の一水源として利用してきましたが
昭和32年(1957年)以降は,工業用水道事業の水源として,築造以来,既に一世紀を超えた現在も取水し,この水源の恵みを受けています。
明治22(1889)年の呉鎮守府の開庁に合わせて竣工したこの取入口は
近代水道としては、横浜、函館に次ぐ歴史を誇ります。御影石造の堂々とした姿が醸し出す品格は
120年以上経った今でも褪せることがなく、当時の石工の技術の高さがうかがわれます。
呉市は,この水源地を旧軍港市転換法によって
昭和27年(1952年)国から譲与を受けて,市民給水の一水源として利用してきましたが
昭和32年(1957年)以降は,工業用水道事業の水源として,築造以来,既に一世紀を超えた現在も取水し,この水源の恵みを受けています。
明治22(1889)年の呉鎮守府の開庁に合わせて竣工したこの取入口は
近代水道としては、横浜、函館に次ぐ歴史を誇ります。御影石造の堂々とした姿が醸し出す品格は
120年以上経った今でも褪せることがなく、当時の石工の技術の高さがうかがわれます。
この石の下には水路があるみたいで
しばし緑のしたを散歩
しばし緑のしたを散歩
紅葉もキラキラと揺れて
これもまた良し
これもまた良し
今度は下り
河原を散歩したり
河原を散歩したり
太平橋と言われるレトロな橋を潜ったり
涼しさを感じる場所を散策
ー---メモ----