キャッチーなタイトルに誘われ読んで見ました。
内容は一人の読者からメールをもらった。
「どうして自殺をしてはいけないのですか?」
「いつか死ぬのであれば、自分の意志で死ぬ時を選んでもいいじゃないですか?」この宗教的ともいえる疑問に
この「問い」を携えて、信頼する先輩たち友人たちの元を訪ねることにした。
・・と始まる対談集
その相手とは内容は
生きる意味を教えてください
死を想えば生きていることの重荷が降りる―藤原新也さんとの対話
死者からのメッセージをどう読むか―内田樹さんとの対話
太古の時代の生命観をITで復元できるか―西垣通さんとの対話
ケアとは「ただ在ること」を肯定する体験―鷲田清一さんとの対話
「みずから」と「おのずから」の「あわい」を生きる―竹内整一さんとの対話
大丈夫、一生かけて帳尻が合えばいい―玄田有史さんとの対話
ヒロシマとアウシュヴィッツの体験から―森達也さんとの対話
“世界”を経由して“社会”に戻る―宮台真司さんとの対話
頭で考えない!からだに訊け!―板橋興宗さんとの対話
さすが読み応えがありました。
時間が経ってまた読みたい本。
書くと長くなりそうだなぁ。
タイトル同様
中身もキャッチーでして
「死者を弔うことは生者の中に死者の死を生かすこと」などなど・・
この言葉とその背景にある言葉に込められた
生きる意味に心に深い印象が残りましたね。
「希望と絶望」パラドキシリカル(逆説的)など
哲学や宗教に近い思い世界になるんですよね。
私は子供の頃によく口癖で「それに意味があるのか?」
何て言って言い訳して何も参加しない子供でした。
非社会的な子供だったのかな?
でも大人からはいい子だと思われてたと思う・・たぶん。
その闇の部分は今も解消されてないんですよね。
世界の全てに意味はあるのか?今も胸を張って答える事は出来ません。
意味など無いから意味がある様に精一杯生きる
絶望があるから希望がある。
闇があるから光輝く。
その振幅の狭間で私はまた悩みながらもがいてる
それが人生だろうか。