風の音だけが週末のConversation

一粒の砂に世界を求め 野の花に天国を見出す 掌の中に無限を捉え ひと時のうちに永遠を築く この詩のように生きたいな

『走ることについて語るときに僕の語ること』 村上春樹

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心を打つのは何故か?
ここ書かれた文章の表現が巧みなだけじゃない
走る者に共通するメンタルだったり生き方が
刻まれてるからんだろう。
私は学生時代から陸上部で走ってばかりでしたし
今は自転車で走ってるのが趣味と言うより
生活そのものに組み込まれた私にはこの行為が
如何に自分の心に影響があるかがよく分かる気がするなぁ。
本文でも春樹さんは
「やはり一つの達成ではないだろうか?
たとえ長く生きなくてもいいから
少なくても生きてるうちは十全な人生を送りたい
ぼんやりと生きる十年よりは
しっかりと目的を持って生き生きと生きる方が望ましく
走る事は確実にそれを助けてくれる
与えられた個々の人の限界の中で
少しでも有効に燃焼させていくこと
これがランニングの本質だ。
それは生きることのメタファーでもある」
・・と書いてました。
共感して自転車に乗る知人にその話をしたんですが
彼も共感してましたねぇ。
この心地よさや誇りを文章にするとこうなるのだろう。
私はどこに引かれ走り続けるのか?
言葉では達成感、爽快感、健康だとか何とか言うけど
言葉では表現出来ない感じる事が沢山ありますし
大きな自然に包まれると・・
「自分という存在が自然の巨大なモザイクの中の
微小なピースのひとつに過ぎないのだと認識する。」
そうです。その通りですよね。
この自分って存在の頼りなさに触れる事で謙虚にもなったりしますし
「大事なのは時間と競争することではない
どれくらいの充実感を持って42kmを走り終えられるか
どれくらい自分を楽しむ事が出来るか
これから先意味を持ってくるだろう」
とか
「生きる事のクオリティ行為そのものの中に
流動的に内包されているという認識」
「自分の足で尽くすべき力は尽くし
耐えるべきは耐えたとじぶんなりに納得することである」
「」は本文の引用ですけどこの言葉が
何となく分かってた部分に気が付き整理して
改めて自分が走り続ける理由の確信を得た気がしました。
自分が生きているという確かな充実感
人生そのものですよね。
また、自分も走り続けたい。
全ての自転車乗り、ランナーにお勧めの本です。