風の音だけが週末のConversation

一粒の砂に世界を求め 野の花に天国を見出す 掌の中に無限を捉え ひと時のうちに永遠を築く この詩のように生きたいな

『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』 村上春樹

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多崎つくると木元沙羅の関係が進展する為には
ある過去と向き合い
当時の友人たちに会って直接話をすることにするが・・。


この時期にこの本を読んだのは
私にとって深い意味があったような気がします。

過去に失った取り返しのつかないもの・・
現在では忘れたようで奥深くに
確かに存在する地層のような深くに存在する事柄

考えたらそれが今の人生に少なからず影響を及ぼしてるんですよね。
過去との折り合いをどうつけて生きるのか?

主人公"つくる"は彷徨いながらも向き合う選択をした。
私はどうだろうか?

過去が頭をもたげる時
正確に正視してそれに向き合ってきただろうか?
未来を自分の望む方向に生きる為には
自分と向き合うことは必要でなんだよね。
タフでなければ出来ないことだけど・・。

印象に残った言葉があります。
「人の心と人の心は調和だけで結びついているのではない。
それはむしろ傷と傷によって深く結びついているのだ。
痛みと痛みによって、脆さと脆さによって繋がっているのだ。
悲痛な叫びを含まない静けさはなく、血を地面に流さない赦しはなく、
痛切な喪失を通り抜けない受容はない。
それが真の調和の根底にあるものなのだ。」
そうですよね。
小手先の調和は偽りなのかも知れないですね。
そして失ったものについて考える
少なからず傷を刻んだそれらについて
それらを必要なこととして愛おしく思えるならば
きっとそれは現在を確かに生きているのだろう。

つくるがこう言います。
「僕はあの頃、何かを信じるしていたし、何かを強く信じる力ことのできる自分を持っていた。
そんな思いがそのままどこかに虚しく消えてしまうことはない」

学生時代、何者でもない自分を空虚に思い
透明な風のように感じた自分を懐かしく思いだした。
時が経ってその傷のようなやわらかいもの
そこにある温かみは確かにあったなぁ。
時を経てまた読み返したくなる
普遍なテーマと想い
忘れてた何かを感じるすばらしい作品。