風の音だけが週末のConversation

一粒の砂に世界を求め 野の花に天国を見出す 掌の中に無限を捉え ひと時のうちに永遠を築く この詩のように生きたいな

「罪と罰」ドストエフスキー

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矛盾に満ちた人間の存在について書かれてますが
この主人公の青年は犯罪を犯す。
突然犯罪を犯す訳ではない事を紐解いて行くが
時代を問わず場所を問わず貧困や
社会の格差、不公平感の強い日々、思想
鬱積した何か、先行きの閉塞感などなど・・
理由は様々ですよね。
一部理解は出来ますがねぇ・・・。
本当にこれでいいのだろうか?
犯罪する正当性なんて
この世にはあってはならないでしょう。
そんな事をこの本を読み終えて考えていた。
先日の事。
通勤電車でいかにも危ない外観、兄ちゃんが
満員電車の中をウロウロ動いて
空いた席に人を押しのけて座り
寝てる女の子を覗き込む様に屈んでジーと見てました。
目は泳いでるし何だか怪しいなぁ~と思いましたが
犯罪ではないし、怪しげな行動では抑止出来ません。
どうなるのか??気にしてましたが
駅でもない場所で椅子を立ち上がって去って行きました。
何なんだろうか?
もし失礼ながら彼が精神的に病を持ち
その為に犯罪被害にあったとして
事情がどうであれ、法的制度が無罪としても
心情的に許す事が出来ないですね。
また前に読んだ経済の本には
政治が経済政策をするが
経済の法則に反して政策通り国の経済が動かないのは
合理的な判断の元に人は行動しないのも原因の一つだそうですね。
この物語に出て来る人はそれぞれの重い荷物を背負って生きてますが
皆が病んで犯罪を犯す分けではないですよね。
人は矛盾に満ちた存在で利己主義なものですね。
中々巧みに表現されてましたねぇ。
このままの話では救われないけど
心を救うのは愛情って言うのも人間らしい所ですね。
あぁ、罪深いなぁー
人ってさぁー。