風の音だけが週末のConversation

一粒の砂に世界を求め 野の花に天国を見出す 掌の中に無限を捉え ひと時のうちに永遠を築く この詩のように生きたいな

『ヘブン』 川上美映子

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いじめのターゲットになたる主人公の男の子と
女の子の話ですが
これが読んでて凄惨な苛めは重苦しかったなぁ・・
同じ苦痛を感じるのかと思えば
この二人は受け取り方は全く違うんですよね
コジマって女の子は全ての事にには意味があるのだと受け入れ耐える。
その先にあるヘブンを信じて・・
その姿はいつかTVで見た苦行を続けながら
聖地を目差す信者を彷彿とさせる。
その先には本当にヘブンなんてあるのだろうか?
主人公の男の子は悩み苦しむ中でいじめの加害者に問う
何故なのか?これに意味はあるのだろうか?
いじめグループの一人、百瀬は言う
「権利があるから、人って何かするわけじゃないだろ。したいからするんだよ」
主人公はあまりもな世界の違いに衝撃を受けるけど
この話を読みながら自分の思い出でを思い出してました。
私の子供時代もクラスでのいじめはありましたね
酷い仕打ちは今考えても酷いもので
苛められてた子はよく学校来てたなぁ・・って思う程。
私はその傍観者の一人でしたが
苛められっ子の女の子にとっては違ったようでした。
その話ですが・・
私がジャングルジムの頂上で人を待ってて一人登ってると
傍をその女の子が通りかかり
楽しそうに下級生?弟?と並んで笑顔で話してました。
おぉ!笑顔だ!初めて見たなぁ・・と思っただけですが
その子は私をジャングルジムの頂上に私を見つけると
一目散で逃げて行ったのを見て
苛めた事もない私を見て逃げる何て・・何で!??
その時は何だか傷ついた記憶があります。
傍観者であっても彼女には同じだったのかな。
マザーテレサがこう言ってます「愛の反対は憎悪ではなく無関心だと」
余談でしたが
この世界観の違いは例えるならば
降り注ぐ雨なんだろうか?
ある人は恵みの雨ととらえるけど
美しいと感じる人間も悲しいと思う人も
何も感じない人間も居るかもしれないですよね。
その現実の向き合い方なんだろうか?
話を戻ると・・。
変わろうとしないコジマは周りの変化にも憎悪を感じて
母親の父親に対する変化を許す事が出来ないでいる
それは主人公の目の手術に対しても同じだ。
百瀬が言うように
それは偶然なだけなのだろうか?
この不条理で悲惨な話の中での一つの光は
ラストに自分を変える行動をとる事で
彼の世界が大きく変わったということ
その世界は光り輝いて行く予感を感じさせてくれた事
自分の世界は自分が創りだしているのだ。
自分が創り出した世界にこそ
どんな結果があるにせよ
ヘブンがあると私は信じて疑わないな。